不登校経験者のとある1人が、大人になってから思うこと

昨日のブログに、たくさん反響いただいていて嬉しいです。ありがとうございます。思ったことや感じたこと、あったらぜひ教えてください。
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さてさて今日は、不登校の話しますよ。
先日、不登校経験者(わたし)が無事社会人になった今思うこと、という視点でつぶやいたのですが、それをまとめたらアクセス数が8000回を越えたそうですので、ここでも紹介しておきます。
 
ことの発端は、不登校新聞さんの記事『不登校の5年後、82%が就学・就労』を読んで思ったことを綴ったことからはじまりました。
 
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toggeter【不登校経験者のとある1人が、大人になってから思うこと
 
1)私がまだ現役不登校だった頃。(今から10~15年くらい前)。まわりに不登校経験者の現役社会人なんていなくて、“みんなが当たり前のように行っている学校に行けない自分”は、“将来仕事のできる大人になることはできないんじゃないか”、ということで随分悩んだわけです。
 
2)そのうち、“できないんじゃないか”という不安から、“できないんだろう”というよくわからない確信に。今思い返せば、自己肯定感の低さがそれを決定付けたのだろうと思います。ですがそんな私もアラサーになった現在、どうやら不登校であるからというだけでは就職にはマイナスにはならなそう。
 
3)この間見てて思うのは、“不登校”=つまり学生、と言えるうちは割となんとかなる。高認/大学/専門学校/資格を取る、所謂レールに戻る筋は見つかりやすい。再チャレンジするなにかがあれば、比較的戻りやすいのだと。(個人的に戻ったからなんだ、とも思いますけど)
 
4)“不登校である”ということよりも、その期間でどれだけ自己肯定感を培えるか、ということは重要だなと思います。でも同時に、これ学校行ってる人でも自己肯定感ないヒトはたくさんいるので、この点で不登校特筆するのもちょっと違う気もする。(自分で書いててなんですが)
 
5)不登校であることに劣等感しか持たないタイプと、劣等感はあるんだけど、でもどこかで不登校という“マイノリティを生きている”アイデンティティ、みたいなのを持っている人も少なくないと思っていて。
 
6)そんな子は、しっかりとその子という人間を認めてあげる大人がまわりにいれば、割とすくすくいい感じの大人になっていくなーとも思っています。達観しているような。センスのいいような。芯のあるような。
 
7)うちの子不登校になっちゃった、という親御さんにはぜひ子どもが「これは」と自信持てるところを伸ばしてあげてほしい。先生も、とりあえずその“マイノリティ”を生きているその子を認めてあげてほしい。(でも、“学校に戻ること”を前提としていたら全然響かないヨ!)
 
8)不登校してましたけど私いま仕事して生きてますし、昨年結婚しましたし、高給ではけしてけしてないですけど、でもなんとかなってます。不登校という仮面に惑わされずに、その”人”と向き合っていれば、大丈夫だと、私は思います。
 
ということを、うちの子不登校になっちゃったどうしよう!このままひきこもりになったら!親のほうが先に死ぬのにこの子はどうやっていきていったらいいの!!とテンパっている親御さんにささげます。
 
(勝手に)
 
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特に、不登校経験のある方から、共感したよー!とお声たくさんいただきました。そんなにたくさんもらえるなんて思ってなくてわたしもビックリ。ひとつひとつのメッセージ読んで、そうだよねそうだよね、うんうんうん、と頷きました。
 
『不登校』も、数ある生きる道のひとつでしかない。
寄り道しても大丈夫。行き止まりだったらちょっと戻ったらいいだけ。
思っているほど、“こうでなきゃいけない”なんて人生は、ないのだと思えたときが、わたしが不登校の呪縛から逃れた瞬間でした。
 
引用させていただいた、不登校新聞さん。
不登校の親御さんには特にオススメしてます。
どうぞじっくり読んでみてください。

研修会から思い返す結婚式のこと

先週末は、白金にある結婚式場へ。
LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの略)への理解を深め、サービスに活かしていく為の研修会でのお手伝いでした。
 
同性結婚式をあげた者として、当事者体験をお話ししてきました。
と言ってもほぼノロケ話だったとは思いますが・・。
それでも、目を輝かせながら、何度も頷いている方も数名いらして、自分の仕事にプライド持ってやっているのだなーということが伝わってきました。
 
どんな方々といっしょに作ってきたのだろう。これからどんな方々といっしょに作っていくのだろう。人も生き方も、考え方もみんなそれぞれ。これから先のどこかで、私の話が少しでも役に立ったら幸いです。
 
今回こういった機会をいただいて、
また、ちょうどその時、尊敬する先輩の結婚式のお手伝いをしていたこともあり、改めて自分のなかで結婚式というものがどうだったのかということを考えました。
 
結婚式に『人生を変えられた』、と言うとおおげさかもしれないけれど、でもやっぱり結婚式をやった人生と、やらない人生では、全然違っただろうなと思います。
 
人生の中で、“自分のため”に人が集まってくれることっていつなんでしょうか。誕生、結婚式、葬式・・とはよく言いますが、大体そうなんだと思います。
“恥ずかしい”、“自分のために悪い”、なんて気持ちも湧いたりするのでしょうが、その先に見えてくるもの、感じることがありました。
 
自分の人生にどれだけの人が関わっているかということの可視化。
それは、生きることへの肯定感に直結します。
健やかに生きていく為に、“自己肯定感”は欠かせません。
自己肯定感のない人間が、それを自分ひとりで培うことは不可能です。
それは、他者からの承認によって得られるものだからです。
 
あの日、『結婚式』というカタチで、人生最大の“承認”を得られたわたしはもう二度と、自ら死のうとはしないんだろう。そんなことを想いました。
 
 
グローバルスクール
グローバルスクール
 
お声をかけていただいた虹色ダイバーシティさま。
貴重な機会をありがとうございました。