グローバルスクール・コーディネーター
恩田夏絵
1986年神奈川県生まれ。
小2から不登校。その後、ひきこもり、リストカットなどを経て定時制高校を卒業するが、“生きること”への希望を見いだせず、『人生最後の旅』のつもりで2005年に地球一周の船旅へ。様々なヒトと出会うことで“生きること”の多様さを実感し、死ぬのをやめて現在の仕事に就職。企画運営、制作などを担当する傍ら、2010年、ヒトの多様性を学ぶ洋上フリースクール『ピースボート・グローバルスクール』を開校。
2014年からは当事者経験を活かして“人生と社会をリデザインする”をコンセプトに活動するクリエイティブチーム「ひきこもりUX会議」を主宰。
「学校で習っていることって、自分の将来にどう役にたつの?」。
そんな疑問を抱き、わたしは小学2年から不登校になりました。最初は自分の意思として不登校を選択しましたが、結果的に『学校に行かないこと』でどんどん自分をすり減らしていきました。
まわりのみんなは、勉強ができて、運動もできて、時間も守れて、みんなと仲良くすることができて、学校にちゃんと毎日行ける。みんな“綺麗に整ったカタチ”をしているけど、私は人間関係をつくることが下手で、分からないところがあると癇癪をおこして、毎日学校にいくことができない―。みんなと自分の違いを見て、自分はずいぶん“歪なカタチ”をしているんだと、とても不安になりました。
その不安は、最終的に『私はなんてダメな人間なんだ』という自己肯定感の欠如につながりました。どうしようもない不安。出口の見えないトンネル。なにをしたらいいのか、なにをしてもダメなんじゃないか―。自己肯定感の欠如は、自分という乗り物を動かすためのエネルギーの枯渇でした。身動きがとれなくなりました。生きることを諦めようとしてしまうくらいに、自分にとって大きなことでした。
学校教育や家庭、地域で育った中で自尊心を培うことのできなかった私が、自尊心を培えるようになったきっかけが、19歳で参加したピースボートの船旅でした。
『人生最後の旅』のつもりで乗り込んだ船には、年齢、出身、仕事、価値観、育ってきた文化圏、バックグラウンドが違うひとがたくさんいました。その環境の中で私は『歪なカタチをしている外れた人間』ではなく、『私というカタチをしたひとりの人間』だと認識することができました。そこには、自己肯定感を培い直す機会(=育ち直し)がたくさんありました。
船旅という日常の中で、“支援する/支援されるという関係”ではなく、ひとりの人間として認めてくれるひとがいるということ。その中で旅を楽しめたこと。旅の日常のなかで、それまでに培えなかった社会経験を体験できたこと。それが、『次の一歩』を踏み出す土台になりました。一歩一歩のなかに生きのびるためのヒントがあり、少しずつ“自分なりに生きていく方法(仕事や日常をどう選んでいくかということ)”を学び取ることができたのでした。
地球を巡る旅で、傷付いた自分をリカバリーすることはできるんだ、ということを知ったわたしはいま、同じように悩んでいる人に世界を見てもらいたいと思っています。言葉にすることはむずかしいけれど、『こんなに生きづらいのは自分だけではないのだ』『自分はおかしくない』と思うきっかけが、ここにもあると、わたしは思っています。そしてその先に、『どうやって生きていくのか』ということがつながっていると思っています。
グローバルスクール・コーディネーター
恩田夏絵