ひきこもりUX会議で話したこと

昨年末に開催したひきこもりUX会議の様子が、ひき☆スタでレポートされています。私のレポートの補足的メモとして当日どんなことを話したのか、ここに記しておきたいと思います。
【イベント取材】「ひきこもりUX会議」で訊いてみた。【⑧恩田夏絵さん】
 
ひきこもりUX会議は、「ひきこもり支援」に関して、ひきこもり経験、もしくは素質的なものを持つ8名のプレゼンターがそれぞれが考える支援のカタチについてのアイデアをシェアする、という会でした。
 
 
私は、自分の人生をベースに、『人が生きていくために必要な場とはなにか』というお話をしました。
 
小2年からの不登校。
最初は自分の意思として不登校を選択しましたが、当時の社会では『学校に行かないこと』を選択することは自分をすり減らすことでした。
まわりのみんな(学校に行けているひと)は、“綺麗に整ったカタチ”をしているのに、私は“人間関係をつくることが下手”、“学校にいけない”、ということで、自分自身がひどく歪なカタチをしているんだと、とても不安になりました。
 
 
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その不安は、最終的に『私はなんてダメな人間なんだ』という、自己肯定感の欠如につながりました。日々自分の価値を見失い続ける中で、なにを頼ったらいいのかもわからず、フリースクールや、医療など、“支援”とカテゴライズされるものにも疑問を感じていました。
 
同じ年齢の子どもしかいない学校の教室。
その学校に行っていない子どもたちが集まる場所。
“支援する人”と“支援される人”に分かれる、ということ。
 
『社会にはいろんな人がいるはず?』なのに、なぜか自分たちだけがここに集められている(結果的に集まっている。ある種の落ち着き、もあるのですが。)、その環境こそがそこにいるわたしや他の子どもたちが社会からはみ出ているのだ、ということを痛感させるのでした。
 
『世界には色んなカタチがある』
『色んなヒトがいる、色んな生き方がある』
『私は私でいい』
 
そのことに自信を持っていられないということが、自分の価値(自尊心)を見失うこと、私の感じていた“生きづらさ”でした。言葉にしてしまうと簡単ですが、生きることを諦めようとしてしまうくらいに、大きなことでした。
 
学校教育や家庭、地域で育った中で自尊心を培うことのできなかった私が、自尊心を培るようになったきっかけが、19歳で参加したピースボートの船旅でした。
 
船旅という日常の中で、支援する・されるではなく、ひとりの人間として認めてくれるひとがいるということ。その中で旅を楽しめたこと。それがわたしにとって、一番の“支援”になったということでした。
 
“支援されること”に違和感を持っていた私は、“誰かに助けてもらいたかった”のではなく、誰かにおぶさるのでもなく、自分の足で自立をする方法を知りたかったのです。
 
年齢、出身、仕事、価値観、文化、バックグラウンドが違うひとの集まり(=多様性)の中で生活をしていくことで、自己肯定感を培い直す機会(=育ち直し)がたくさんありました。
生きのびるヒントを学び取ることができたのでした。
その空間では、私は『歪なカタチをしている外れた人間』ではなく、『私というカタチをしたひとりの人間』でした。
 
特別なことなんてなくても、これがあるだけでいいんじゃないか
 
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「ひきこもりの支援」を追及することも必要なのだけれども、“わたしたち”が生きづらさを感じているこの“社会”という視点から考えることも、同じくらい必要なんじゃないかと私は思います。
 
“社会”とは、私たちひとりひとりが何を考え、何を言葉にし、何にお金を使い、どうやって生きていくのか、ということなのだと考えます。“支援”を考える前に、私たちひとりひとりが多様性を頭に置くこと(多様な生き方、価値観を認め合うこと)で、救われるなにかもあるだろう―
それが、『人が生きていくために必要な場とはなにか』という問いへの一つの答えになるんじゃないか―
 
そんな話をさせていただきました。
 
システムや組織をいくら揃えていっても、すくいきれないものがある。『支援』のかたちは、いろいろある―ということでした。。。というか、そうしていかないとどんどん零れ落ちるものが増えていく―わたしはそんな気がしています。
 
 
 
当日の会場の雰囲気などもレポートしてくれています。他の素晴らしいプレゼンターの方々のレポートもありますので、そちらもぜひご覧ください。
【イベント取材】「ひきこもりUX会議」で訊いてみた。
 
 
PHOTO:Kajiura Takashi

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