まさかこんな日がするなんて、誰が思ったのでしょうか。
リスカをして、日々強迫観念の中で盗聴の心配をしてはコンセントカバーを外し中身のチェックをしていたあのひきこもり少女(わたし)が、結婚式の司会デビューをいたしました。今日はそんなお話し。
先月、縁あって結婚式をプロデュースさせていただきました。
人前挙式から、披露宴、パーティーの3部構成。(司会は披露宴でやりました)
怒濤の日々でしたが、新郎新婦のポテンシャルの高さや、有能なチームメンバーに支えられ、非常にスムーズに当日を迎えることができました。
新郎新婦の思いをどう表現するか、ゲストのみなさんとどう楽しんでもらうか、新婦の美しい瞬間をどう残すか。無限に広がる可能性と、現実的にどこに落とし込むか、でも絶対妥協はしたくない絶妙なライン。試行錯誤の連続でしたが、終わった今思うのは、とにかく幸せを感じる一日になった、ということです。
招待状制作、挙式の演奏、各会の司会、ディレク、各種機材手配、和太鼓演奏、音響、映像制作など、あらゆる部分をうちのスタッフが担いました。
ひとりではできないことも、ふたりなら、みんなでなら、できるということ-そしてこのピースボートグループの人材の豊富さに、ヒト多様性ここにあり、と胸張る思いでもあります。
決してオールマイティ集団ではなく、どちらかというと凸凹集団。凸凹だから、集まってそれぞれができることをして生きていく、ということ。なんでもかんでもできなきゃいけないわけじゃないということですね。
『ひとりでも私は 生きられるけど
でもだれかとならば 人生ははるかに違う』
結婚式のテーマともなった、中島みゆきさんの“誕生”という曲の1フレーズ。
ひとは、結婚するために生きているわけではないと思うのです。
結婚したから、守るべき家族がいるから、ひとは強くなるのではないと思うのです。家族や夫婦、それら集合体の前に、一個人の自分という人間がどう生きていくのか、なにを大切にしていくのか・・そういう“個人同士の寄合”であるということがとっても大事なことなんじゃないかと思います。
もたれ合うのではなく、ひとり1人で立ち、寄り添い前を向く新郎新婦。そんなふたりの人生が可視化された、あたたかい一日でした。
ふたりと共に歩んでいた私も、勝手ながら人生2度目の結婚式を挙げさせてもらったような満ち足りた気分です。
いま思うと、新郎新婦に伝えた一言ひとことが、自分がそうだったときにかけてもらった言葉だったんだなと思うと、自分もいい人生歩んできたなと思います。
貴重な機会を委ねてくれた新郎新婦には、大きな感謝しかありません。
石丸さん、たむちゃん、ほんとにおめでとうございます。
これからも、いっしょにいきていきましょう。
よろしくお願いします。
最後の一枚は、パーティーの余興で行った、新婦による宝塚歌劇ショーです。カンのいい方はもうお気づきかと思いますが、右の男役がわたしですね。プロデュース、司会、宝塚、と非常に楽しい一日を過ごさせていただきました。重ね重ね、貴重な機会をありがとうございました。
不登校経験者のとある1人が、大人になってから思うこと
昨日のブログに、たくさん反響いただいていて嬉しいです。ありがとうございます。思ったことや感じたこと、あったらぜひ教えてください。
ブログページ左の『恩田夏絵へメッセージを送る』へどうぞ。
さてさて今日は、不登校の話しますよ。
先日、不登校経験者(わたし)が無事社会人になった今思うこと、という視点でつぶやいたのですが、それをまとめたらアクセス数が8000回を越えたそうですので、ここでも紹介しておきます。
ことの発端は、不登校新聞さんの記事『不登校の5年後、82%が就学・就労』を読んで思ったことを綴ったことからはじまりました。
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toggeter【不登校経験者のとある1人が、大人になってから思うこと】
1)私がまだ現役不登校だった頃。(今から10~15年くらい前)。まわりに不登校経験者の現役社会人なんていなくて、“みんなが当たり前のように行っている学校に行けない自分”は、“将来仕事のできる大人になることはできないんじゃないか”、ということで随分悩んだわけです。
2)そのうち、“できないんじゃないか”という不安から、“できないんだろう”というよくわからない確信に。今思い返せば、自己肯定感の低さがそれを決定付けたのだろうと思います。ですがそんな私もアラサーになった現在、どうやら不登校であるからというだけでは就職にはマイナスにはならなそう。
3)この間見てて思うのは、“不登校”=つまり学生、と言えるうちは割となんとかなる。高認/大学/専門学校/資格を取る、所謂レールに戻る筋は見つかりやすい。再チャレンジするなにかがあれば、比較的戻りやすいのだと。(個人的に戻ったからなんだ、とも思いますけど)
4)“不登校である”ということよりも、その期間でどれだけ自己肯定感を培えるか、ということは重要だなと思います。でも同時に、これ学校行ってる人でも自己肯定感ないヒトはたくさんいるので、この点で不登校特筆するのもちょっと違う気もする。(自分で書いててなんですが)
5)不登校であることに劣等感しか持たないタイプと、劣等感はあるんだけど、でもどこかで不登校という“マイノリティを生きている”アイデンティティ、みたいなのを持っている人も少なくないと思っていて。
6)そんな子は、しっかりとその子という人間を認めてあげる大人がまわりにいれば、割とすくすくいい感じの大人になっていくなーとも思っています。達観しているような。センスのいいような。芯のあるような。
7)うちの子不登校になっちゃった、という親御さんにはぜひ子どもが「これは」と自信持てるところを伸ばしてあげてほしい。先生も、とりあえずその“マイノリティ”を生きているその子を認めてあげてほしい。(でも、“学校に戻ること”を前提としていたら全然響かないヨ!)
8)不登校してましたけど私いま仕事して生きてますし、昨年結婚しましたし、高給ではけしてけしてないですけど、でもなんとかなってます。不登校という仮面に惑わされずに、その”人”と向き合っていれば、大丈夫だと、私は思います。
ということを、うちの子不登校になっちゃったどうしよう!このままひきこもりになったら!親のほうが先に死ぬのにこの子はどうやっていきていったらいいの!!とテンパっている親御さんにささげます。
(勝手に)
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特に、不登校経験のある方から、共感したよー!とお声たくさんいただきました。そんなにたくさんもらえるなんて思ってなくてわたしもビックリ。ひとつひとつのメッセージ読んで、そうだよねそうだよね、うんうんうん、と頷きました。
『不登校』も、数ある生きる道のひとつでしかない。
寄り道しても大丈夫。行き止まりだったらちょっと戻ったらいいだけ。
思っているほど、“こうでなきゃいけない”なんて人生は、ないのだと思えたときが、わたしが不登校の呪縛から逃れた瞬間でした。
引用させていただいた、不登校新聞さん。
不登校の親御さんには特にオススメしてます。
どうぞじっくり読んでみてください。