ねりまサポステに行ってきた

今日は、練馬にある若者サポートステーションさんでお話しをしてきました。
 
サポートステーションは、働くことに悩みを抱えている若者に対して就労支援をしている行政の取り組みです。厚労省が認定したNPOや会社が運営していて、各地域にあります。
地域若者サポートステーションって何?(外部リンク)
 
聴講者は、就労に向かっている若者たちということで、生い立ちと“今働けている理由”のふたつをベースにしました。
 
不登校・引きこもり生活で自己肯定感を欠如し、自分の将来を悲観し自死を望んだ私が、なぜ勤続9年目(もうすぐ10年目)を迎えることができたのか。
 
学校や友だちとの人間関係の中で“日本社会に合わない”自分に悩んだこと。
“社会に合わないのではなく、これまでの生活環境の中で合うところがなかった”と思うようになったこと。
 
これまで表現するのに使ってこなかった、新しい言葉がたくさん出てきました。
“今、働けていること”というのをテーマに話すことはほとんどなかったからですかね。考えていくと改めて気付くことがあり、準備段階から面白かったです。
また想像していたよりも、たくさんの質問が出たことも、とても嬉しかったです。
 
 
質問の中に『なぜ辞めようと思ったときもあったのに、辞めずに続けてこれたのか』という質問をしてくれた方がいました。『続けることで、“辞めたい”と思った理由が見えてきた。理由は未熟さだった。』と答えましたが、事務所に向かう電車の中で改めて考えて、あのときの回答よりもわかりやすい言葉が出てきたのでここに書いておこうと思います。
 
なぜ続けてこれたのか。
もちろん理由は色々ありますが、そのひとつは“無理をしない”ということをできるようになったから、です。
 
無理をして人間関係を良好にしようとしたり、体力的に無理して休まず働き結局体調を崩したり、さらに心を病んで、同僚がみんな敵に見えたこともありました。端折って多少乱暴に綴りますと、辞めたいと思ったところは、実は“無理をして(頑張って)いるのに報われない自分がカッコ悪くて恥ずかしくて逃げたいと思っていた”、というところが大きかったかもしれません。
 
合わない人間もいる。
自分にできないこともある。
 
無理をしない、ということは、
『自分はダメな人間だ』『優れた人間でないといけない』『自分は優れた人間なんだ』・・・いつの間にかそう思い込んでいた自分が作り出した、自分の自分に対する自分のための理想像が壊れたということでした。理想と現実のギャップが大きいと逃げたくなります。仕事をする上でそういった状況が作り出されていたということです。理想をぶっ壊して現実が目の前に残ったとき、できることをやっていこうということになりました。それは、“辞めない”という選択になりました。
 
あと、“無理をしない”には、
ちゃんと寝る、ご飯を食べる、疲れたときは休む、も含まれます。具体的に例をあげると「忙しくて●●連勤目だよw」と言わないことです。
これらをできるようになってから、辞めようとは思わなくなりました。
 
ねりまサポステのみなさん、ありがとうございました。
楽しかったです。またどこかで。
 
ねりま若者サポートステーションさんのFacebookページでもご紹介していただきました。

ひきこもり、結婚式の司会をする

まさかこんな日がするなんて、誰が思ったのでしょうか。
リスカをして、日々強迫観念の中で盗聴の心配をしてはコンセントカバーを外し中身のチェックをしていたあのひきこもり少女(わたし)が、結婚式の司会デビューをいたしました。今日はそんなお話し。
 
 
先月、縁あって結婚式をプロデュースさせていただきました。
 
人前挙式から、披露宴、パーティーの3部構成。(司会は披露宴でやりました)
怒濤の日々でしたが、新郎新婦のポテンシャルの高さや、有能なチームメンバーに支えられ、非常にスムーズに当日を迎えることができました。
 
新郎新婦の思いをどう表現するか、ゲストのみなさんとどう楽しんでもらうか、新婦の美しい瞬間をどう残すか。無限に広がる可能性と、現実的にどこに落とし込むか、でも絶対妥協はしたくない絶妙なライン。試行錯誤の連続でしたが、終わった今思うのは、とにかく幸せを感じる一日になった、ということです。
 
招待状制作、挙式の演奏、各会の司会、ディレク、各種機材手配、和太鼓演奏、音響、映像制作など、あらゆる部分をうちのスタッフが担いました。
ひとりではできないことも、ふたりなら、みんなでなら、できるということ-そしてこのピースボートグループの人材の豊富さに、ヒト多様性ここにあり、と胸張る思いでもあります。
 
決してオールマイティ集団ではなく、どちらかというと凸凹集団。凸凹だから、集まってそれぞれができることをして生きていく、ということ。なんでもかんでもできなきゃいけないわけじゃないということですね。
 
 

 
『ひとりでも私は 生きられるけど
 でもだれかとならば 人生ははるかに違う』
 
結婚式のテーマともなった、中島みゆきさんの“誕生”という曲の1フレーズ。
 
ひとは、結婚するために生きているわけではないと思うのです。
結婚したから、守るべき家族がいるから、ひとは強くなるのではないと思うのです。家族や夫婦、それら集合体の前に、一個人の自分という人間がどう生きていくのか、なにを大切にしていくのか・・そういう“個人同士の寄合”であるということがとっても大事なことなんじゃないかと思います。
 
もたれ合うのではなく、ひとり1人で立ち、寄り添い前を向く新郎新婦。そんなふたりの人生が可視化された、あたたかい一日でした。
 
ふたりと共に歩んでいた私も、勝手ながら人生2度目の結婚式を挙げさせてもらったような満ち足りた気分です。
いま思うと、新郎新婦に伝えた一言ひとことが、自分がそうだったときにかけてもらった言葉だったんだなと思うと、自分もいい人生歩んできたなと思います。
貴重な機会を委ねてくれた新郎新婦には、大きな感謝しかありません。
 

石丸さん、たむちゃん、ほんとにおめでとうございます。
これからも、いっしょにいきていきましょう。
よろしくお願いします。
 
 

最後の一枚は、パーティーの余興で行った、新婦による宝塚歌劇ショーです。カンのいい方はもうお気づきかと思いますが、右の男役がわたしですね。プロデュース、司会、宝塚、と非常に楽しい一日を過ごさせていただきました。重ね重ね、貴重な機会をありがとうございました。