横浜で開催されたレインボーフェスタに登壇してきました。
ラジオDJや作家として活躍されてるロバートハリスさんとの対談は、とても楽しく有意義な時間でした。
LGBTとして結婚式をあげた体験者として、式をつくっていく上で大事にしたこと、困難などをお話したのですが、ハリスさんの素晴らしいファシリテートのおかげで、LGBTに限らず“多様な生き方とはなんなのか”という視点でも話を広げることができました(グローバルスクールにとても関心持ってくれてたのです。嬉しい。)。なにかひとつのイシューについて話しているとそこに留まる話で終始してしまうことがあるので、これはとても大事な話だったなと思います。
登壇後、ハリスさんとの1枚。
もーほんとに素敵な方でした。
フェスの数日後、渋谷区や世田谷区でパートナーシップ証明書・宣誓受領証の発行が開始されました(一応言っておきますけど、“結婚”ではないです)。どちらも区外在住ですが当事者としては嬉しいことです。行政が認める、ということが持つ意味が大きいです。
制度や社会保障など枠組みをつくっていくことはとても大事なことです。同時に学校や仕事場、家族や地域という、その人が“日常”を営んでいる場でいかに、無理のないカタチで生きていけるのかということも大事なことで、それは枠組みを作るだけで解決できることではありません。
私やパートナーの室井が、顔出して名前を出してメディアなどで発言することができるのは、家族や職場など生活の基盤となるところにネックがなにもないから、というのがひとつの理由です。生活の基盤となるところで、嘘をついたり否定をし続けなければならないということは、非常に苦しいことです。それは、セクシュアル・マイノリティでも、不登校でもひきこもりでも。
(たとえば、ひきこもり当事者の中には、“職業や日常を聞かれることが恐くて美容院に行けない”という人が少なくありません(私も美容院はとっても苦手)。腹くくって乗りこなすことも可能ですが、人間ですからどこかでほころびもできるしょう。)
まだ知り合ったばかりの頃、室井に「彼氏いるの?」って聞いたことがありました。返答は「彼氏はいないけど、恋人はいるよ。」でした。私は『しまった!やっちまった!』と思いました。『女性の恋人は男性である』と決めつけて、彼女に“ふつー”を押し付けるカタチになってしまっていたんだなと、その答えに私は慌てて「私たぶんバイなんだよね」と言い訳のように話したことを覚えています。(それはそれで、彼女にとってはインパクトのある返答だったようですが。)
あとあと聞いてみると、その最初の返答すらも彼女にとっては『言っても大丈夫かな?このひとだったら大丈夫かな・・?』と少し勇気のいることだったようです。
言葉の選び方や表現の積み重なり、というのも日常のひとつの見方だとして。
まわりの人間に影響を与えることを思うと、どんな言葉を選択していくのがいいのかな―と日々自問の繰り返しです。
「LGBT」
2015年に入ってから、TVなどでも大きく報じられ、よく聞くようになりました。忘れてほしくないのは、TVや“あっちの世界”の話ではなく、すぐそこにある日常だということです。
一個人はどうやって“日常”をつくっていくのか。今回横浜で開かれたレインボーフェスタなど、地域でそういう動きがあることがとても大事なことなのだと思うのでした。
なにはともあれ、実行委員会のみなさん、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
写真提供:Ogino Takuya